ヨーガの歴史と全体系
以下のテキストは、2017年夏期セミナー特別教本『気の霊的科学とヨーガの歴史と体系 転生思想と大乗仏教の哲学』第2章として収録されているものです。教本全体にご関心のある方はこちらをご覧ください。
1.ヨーガを生んだインドの古代宗教
ヨーガを生んだインドの古代宗教の源として、ヴェーダと呼ばれる宗教文書がある。これは、紀元前1000年頃から紀元前500年頃にかけてインドで編纂された一連の宗教文書の総称である。なお、「ヴェーダ」は 「知識」の意である。
ヴェーダは、バラモン教の聖典で、バラモン教を起源として後世成立したいわゆるヴェーダの宗教群にも、多大な影響を与えている。長い時間をかけて口述や議論を受けてきたものが後世になって書き留められ、記録されたものである。
ヴェーダは、シュルティ(天啓聖典)と呼ばれ、特定の作者によって作られたものではなく、永遠の過去から存在していたとされ、霊感に優れた聖者達が神から受け取って顕現したと考えられている。
そして、口伝でのみ伝承され、長らく文字にすることを避けられ、師から弟子へと口頭で伝えられたが、後になってごく一部が文字に記されたとされる(ヴェーダ、特にサンヒターの言語は、サンスクリット語とは異なる点が多く、ヴェーダ語と呼ばれる)。
広義でのヴェーダは、
①サンヒター(本集)
ヴェーダの中心的な部分で、マントラ(讃歌、歌詞、祭詞、呪詞)で構成
②ブラーフマナ(祭儀書・梵書)
紀元前800年頃を中心に成立、散文形式で記述、祭式の手順や神学的意味を説明
③アーラニヤカ(森林書)
人里離れた森林で語られる秘技、祭式の説明と哲学的な説明
④ウパニシャッド(奥義書)
哲学的な部分、インド哲学の源流、紀元前500年頃を中心に成立、ヴェーダーンタ(「ヴェーダの最後」の意)を含む。
狭義では、サンヒターだけをヴェーダといい、①リグ・ヴェーダ、②サーマ・ヴェーダ、③ヤジュル・ヴェーダ、④アタルヴァ・ヴェーダ、という4種類がある。ヴェーダは一大叢書(そうしょ)であり、現存するものだけでも相当に多いが、失われた文献をあわせると、さらに膨大なものになると考えられている。
2.バラモン教とは
バラモン教は、『ヴェーダ』を聖典とし、天・地・太陽・風・火などの自然神を崇拝し、バラモンと呼ばれる司祭階級が行う祭式を中心とする。
バラモンは特殊階級であり、祭祀を通じて神々と関わる特別な権限を持ち、宇宙の根本原理ブラフマンに近い存在とされ敬われ、生贄などの儀式を行うことができる。なお、バラモンは、正しくはブラーフマナというが、音訳された漢語「婆羅門」のために、日本ではバラモンと呼ばれる。
バラモン教の最高神は一定しておらず、儀式ごとに、その崇拝の対象となる神を最高神の位置に置く。また、バラモン教では、人間がこの世で行った行為(業・カルマ)が原因となって、次の世の生まれ変わりの運命が決まるとされ、悲惨な状態に生まれ変わることに不安を抱き、無限に続く輪廻の運命から抜け出す解脱の道を求める。
バラモン教では、階級制度である四姓制があり、それは、①司祭階級バラモンが最上位で、②クシャトリヤ(戦士・王族階級)、③ヴァイシャ(庶民階級)、④シュードラ(奴隷階級)によりなる。これらのカーストに収まらない人々は、それ以下の階級パンチャマ(不可触民)とされた。
カーストの移動は不可能であり、異なるカースト間の結婚はできない。
バラモン教の起源は、紀元前13世紀頃、アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程で作られたとされる。紀元前10世紀頃に、アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まった。
そして、紀元前7世紀から紀元前4世紀にかけて、バラモン教の教えを理論的に深めたウパニシャッド哲学が形成された。そして、紀元前5世紀頃に、4大ヴェーダが現在の形で成立して、宗教としての形がまとめられ、バラモン階級の特権がはっきりと示されるに至った。
3.バラモン教からヒンドゥー教へ
しかし、これに反発して、今も残る仏教やジャイナ教を含めた、多くの新しい宗教や思想が生まれた。これらの新宗教は、バラモンの支配をよく思っていなかったクシャトリヤに支持された。こうして、1世紀頃には、バラモン教は、仏教に押されて衰退した。
しかし、4世紀頃にバラモン教を中心に、インドの各民族宗教が再構成されて、ヒンドゥー教に発展し、継承された。この際、主神が、シヴァ、ヴィシュヌへと移り変わったが、バラモン教やヴェーダでは、シヴァやヴィシュヌは脇役であった。このため、バラモン教は、古代のヒンドゥー教と解釈してもよいだろう。
なお、バラモン教(英:Brahmanism、ブラフミンの宗教)という言葉自体が、実は英国人が作った造語である。それは、先ほど述べたように、仏教以前に存在した、ヴェーダに説かれる祭祀を行うバラモンと呼ばれる祭祀階級の人々を中心とした宗教のことを指す。
また、英国人は、バラモン教の中で、ヴェーダが編纂された時代の宗教思想を「ヴェーダの宗教(ヴェーダ教)」と呼んだ。これは、バラモン教とほぼ同じ意味だが、バラモン教の方が一般的によく使われる。
そして、ヒンドゥー教(英:Hinduism)も、英国人が作った造語であり、すでに述べたように、インドにおいて、バラモン教が、民間宗教を取り込んで発展的に消滅して出来た後の宗教を指す。なお、インド人の中では、特にヒンドゥー教全体をまとめて呼ぶ名前はなかった。
なお、ヒンドゥー教という言葉が、広い意味で使われる場合には、インドにあった宗教の一切が含まれ、インダス文明まで遡るものである。ただし、一般的には、アーリア人のインド定住以後、現代まで連続するインド的な伝統を指す。
そして、バラモン教の思想は、必ずしもヒンドゥー教と一致していない。たとえば、バラモン教では、中心となる神はインドラ、ヴァルナ、アグニなどであった。ヒンドゥー教では、バラモン教では脇役であったヴィシュヌやシヴァが重要な神となった。
また、ヒンドゥー教でも、バラモン教と同様にヴェーダを聖典とするものの、二大叙事詩の『マハーバーラタ』・『ラーマーヤナ』、プラーナ聖典、法典(ダルマ・シャーストラ)があり、さらには、諸派の聖典がある。
4.仏教・ジャイナ教
紀元前5世紀頃に、北インドのほぼ同じ地域で、仏教やジャイナ教をはじめとした、バラモンを否定した新宗教が誕生するが、現在まで続いているのは仏教とジャイナ教だけである。
仏教は、バラモン教の基本であるカースト制度を否定し、司祭階級バラモン(ブラフミン)の優越性を否定したが、釈迦牟尼(ゴータマ)の死後は、バラモン自身が、仏教の司祭として振舞うなど、バラモン教が仏教を取り込み、バラモンの地位を確保しようした。
同じように、仏教も、釈迦牟尼の死後は、バラモン・ヒンドゥー教の神を、仏法の守護神などとして取り込んで行った。こうして、仏教とバラモン・ヒンドゥー教は混合していった面がある。なお、その後の仏教は、イスラム教の侵入で、インド国内では完全に消滅したが、現代において、アンチ・カースト活動を背景として再興している。
5.ヨーガの起源・原始ヨーガ
ヨーガの起源には不明な点が多く、成立時期を確定することは難しい。紀元前2500年~1800年のインダス文明に起源があるとの見解もあるが、十分な証拠はない(遺跡の図画をヨーガの坐法と解釈した)。
紀元前8世紀から5世紀には、ヨーガの行法体系が確立したと思われるが、ヨーガの説明が確認される最古の文献は、紀元前350年から300年頃に成立したと推定されるヴェーダ聖典の『カタ・ウパニシャッド』である。
ヨーガは、解脱を目指した実践哲学体系・修行法である。心身の修行により、輪廻転生からの解脱(モークシャ)に至ろうとする。森林に入って樹下などで沈思黙考に浸る修行形態は、インドでは、紀元前に遡る古い時代から行われていたという。
ヨーガの語源は、「牛馬に軛(くびき)をかけて車につなぐ」という意味の言葉(ユジュ)から派生した名詞である。ヨーガの根本経典として有名な『ヨーガ・スートラ』は、「ヨーガとは心の作用のニローダ(静止・制御)である」と定義しているから、牛馬に軛をかけてその奔放な動きを制御するように、人の身体・感覚器官・心の作用を制御・止滅するという意味であろう。
さて、前に述べた通り、ウパニシャッドにも、ヨーガの行法がしばしば言及され、正統バラモン教では、六派哲学のヨーガ学派に限られずに行われた。祭儀をつかさどる司祭(バラモン)たちが、神々と交信するための神通力を得ようとしたともいわれる。そして、4~5世紀頃に、ヨーガ学派の経典『ヨーガ・スートラ』として、現在の形にまとめられたと考えられている。
なお、この六派哲学とは、バラモン教において、ヴェーダの権威を認める6つの有力な正統学派の総称であり、①ミーマーンサー学派(祭祀の解釈)、②ヴェーダーンタ学派(宇宙原理との一体化を説く神秘主義)、③サーンキャ学派(精神原理と非精神原理の二元論を説く)、④ヨーガ学派(身心の訓練で解脱を目指す)、⑤ニヤーヤ学派(論理学)、⑥ヴァイシェーシカ学派(自然哲学)である。
なお、ヒンドゥー教では、これらヴェーダの権威を認める学派をアースティカ(正統派、有神論者)と呼び、ヴェーダから離れていった仏教、ジャイナ教、順世派などをナースティカ(非正統派、無神論者)として区別する。
しかし、ヨーガの行法体系は、ヨーガ学派だけにとどまらず、正統学派全体さえも超え、インドの諸宗教と深く結びつき、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教の修行法ともなった。仏教に取り入れられたヨーガの行法は、中国・日本にも伝えられ、坐禅となった。仏教での漢訳語は瑜伽(ゆが)という。
6.古典ヨーガ・ヨーガ学派
そして、紀元後4~5世紀頃には、今日よくヨーガの根本経典・基本経典といわれる『ヨーガ・スートラ』が編纂された。紀元後3世紀以前という説もあるが、文献学的な証拠は不十分だという。編纂者は、ヨーガ学派の開祖ともされるパタンジャリといわれるが、実際には誰なのかはまだよくわかっていない。
ヨーガ・スートラは、インドの六派哲学の一つである「ヨーガ学派」の経典であり、サーンキャ・ヨーガの経典であるが、四無量心などの仏教思想の影響も大きく受けた内容となっている。また、ヨーガの基本経典といっても、当時は多くの経典があったが、この経典だけが現存しているにすぎない。
なお、ヨーガ学派は、ヨーガを初めて明確に定義した。サーンキャ学派と兄弟学派であって、ヨーガ学派は、その世界観の大部分をサーンキャ学派の思想に依拠している。すなわち、ヨーガ学派の行法実践を、サーンキャ学派の世界観が裏付ける形になっている。
その経典が説く実践の内容は、主に、瞑想によって解脱を目指す静的なヨーガである。個々人の永久不変の本体である「真我」が、世界の万物から独立して存在する本来の状態(真我独存の状態)に戻って、解脱するとしている。
具体的な修行実践としては、アシュターンガ・ヨーガ(八階梯のヨーガ)といわれ、①ヤマ(禁戒・してはならないこと)、②ニヤマ(勧戒・すべきこと)、③アーサナ(座法・瞑想時の座り方)、④プラーナーヤーマ(調気法・呼吸法を伴った気の制御)、⑤プラティヤーハーラ(制感・感覚の制御)、⑥ダーラナー(凝(ぎょう)念(ねん)・精神の一点集中)、⑦ディヤーナ(静慮(じょうりょ)・集中の拡大)、⑧サマーディ(三昧・主客合一の精神状態)の8つの段階で構成される。
この『ヨーガ・スートラ』に示される古典ヨーガは、今日では「ラージャ・ヨーガ」(王のヨーガという意味)とほぼ同義であるとされ、ラージャ・ヨーガが、古典ヨーガの流れを継承している。
なお、この古典ヨーガ、八階梯のヨーガ、ラージャ・ヨーガの詳細に関しては、『ヨーガ・気功教本』(ひかりの輪刊)に解説したので、それを参照されたい。
7.サーンキャ学派とサーンキャ二元論
サーンキャ学派の開祖は、紀元前4~3世紀のカピラとされる。その教義が体系化されたのは、3世紀頃の「シャシュティ・タントラ」とされるが、この文献は現存しない。サーンキャとは、知識によって解脱する道を意味している。これに対して、ヨーガは、行為の実習という位置づけがあり、サーンキャ(知識の実習)とヨーガ(行為の実習)を、共に解脱の道として、両者が結びついてセットとなった一面があったと思われる。
サーンキャ学派の中心思想は、世界の根源として、プルシャ(精神原理・神我)とプラクリティ(根本原質・自性・物質原理)があるとする厳密な二元論である。
プルシャは、本来は物質的要素を全く離れた純粋精神であり、永遠に変化することのない実体である。アートマン(我・真我)と同義と考えられる。プラクリティは、この現象世界の根源的物質であり、すべての現象は、プラクリティが変異したものとされる。
そして、世界の全ては、プルシャがプラクリティを観照することを契機に、プラクリティから展開して生じると考えた。具体的には、プラクリティには、サットヴァ、ラジャス、タマスという3つのグナがあり、最初は平衡しており変化しないが、プルシャがプラクリティ=3グナを観照(関心をもって観察)すると、その平衡が破れて、プラクリティから様々な原理が展開し、意識、感覚器官、その対象など、世界が作られていくとする。
そして、輪廻の苦しみが絶たれた絶対的幸福は、プルシャ(自己)が、プラクリティ(世界)に完全に無関心となり、自己の内に沈潜すること(独存)だと考えた。
前に述べたように、サーンキャ学派は、ヨーガ学派と対になっており、サーンキャ学派の思想は、ヨーガの行法実践を理論面から裏付ける役割を果たしている。ただし、両学の思想は異なる面もあり、ヨーガ学派は、最高神イーシュヴァラの存在を認める点が、サーンキャ学派と異なる。
8.後期ヨーガ
古典ヨーガが成立した後、ヨーガの中に様々な流派が成立した。主なものは、ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、カルマ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガ、マントラ・ヨーガ、ハタ・ヨーガなどである。
この中で、ラージャ・ヨーガが、サーンキャ・ヨーガ、古典ヨーガの系統をひくものである。それぞれのヨーガの流派の概略は、以下のとおりである。
①ラージャ・ヨーガ:
古典ヨーガの流れを汲んだ、心理操作を中心とする瞑想ヨーガである。
②カルマ・ヨーガ:無私の行為・利他の奉仕を実践するヨーガ
日常生活を修行の場ととらえ、見返りを要求しない無私の行為・利他の奉仕を行うヨーガである。
③バクティ・ヨーガ:神への信愛のヨーガ
(人格)神を信じ愛する信仰のヨーガ。この実践者をバクタという。
④ジュニャーナ・ヨーガ:哲学的・思索のヨーガ
高度な論理的な熟考・分析・思索によって、真我を悟るヨーガである。
一般的に難易度が高いヨーガとされるが、うまく実践することができれば、最も高度なヨーガになり得るという見解がある。
⑤マントラ・ヨーガ:真言のヨーガ
マントラ(聖なる言葉・真言)を唱えるヨーガである。
主にサンスクリット語のマントラが広く用いられている。
⑥ハタ・ヨーガ:身体操作を用いる動的なヨーガ
身体生理的操作から心理操作に入るヨーガであるが、後に詳述する。
9.ハタ・ヨーガ
この中でも、ハタ・ヨーガは最も新しいものであり、12~13世紀には出現したとされる。ハタ・ヨーガは、力のヨーガという意味であり、ヨーガの密教版ともいうべき内容のもので、12~13世紀のシヴァ教ナータ派のゴーラクシャナータ(ヒンディー語でゴーラクナート)を祖とする。
ただし、ハタ・ヨーガの経典となると、16~17世紀に出現した著名な『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』や、『ゲーランダ・サンヒター』、『シヴァ・サンヒター』が最初のものとされる。
このハタ・ヨーガは、サーンキャ・ヨーガとは大きく異なる性格をもっている。サーンキャ・ヨーガの修行は、主に心理的な作業が中心であるが、ハタ・ヨーガは、身体的な修行を心理的な修行の準備段階として重視し、その修練が中心となる。さらに「クンダリニー」という原理を重んじており、体内を流れるプラーナ(気・生命エネルギー)を重視する特徴を持っている。
具体的には、アーサナ(体位法・体操)、プラーナーヤーマ(調息法・調気法・呼吸法)、ムドラー(印相(いんぞう)・クンダリニーを覚醒させる高度な行法)、シャットカルマ(浄化法)など重視し、サマディ(三昧、深い瞑想状態)を目指し、その過程で、超能力を追求する傾向もある。
なお、ハタ・ヨーガの思想は、ヒンドゥー教のシヴァ派や、タントラ仏教(後期密教)の聖典群(タントラ)、『バルドゥ・トェ・ドル(チベット死者の書)』の説などと共通点が多い。具体的には、プラーナ(生命の風、気)、ナーディ(脈管)、チャクラ(ナーディの叢)が重要な概念となっている。
このハタ・ヨーガの詳細に関しては、『ヨーガ・気功教本』(ひかりの輪刊)に解説したので参照されたい。
なお、近代インドでは、ハタ・ヨーガは避けられてきた面があり、ヴィヴェーカーナンダやシュリ・オーロビンド、ラマナ・マハルシらの指導者たちは、ラージャ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガのみを語ったという。
その背景の一つとしては、これは単なる推察ではあるが、ハタ・ヨーガの体系の中に、男女の性的な交わりを活用する、いわゆるタントラ・ヨーガ、仏教でいう左道密教・タントラ密教が含まれていることがあるかもしれない。ただし、ハタ・ヨーガの実践は、性的行為を不可欠とするものでは全くなく、先ほど述べた行法のみを実践することができる。
一方、現在、「ヨーガ」として世界に広がっているのは、ハタ・ヨーガである。ただし、それは、20世紀に、インドにおいて、近代の西洋の体操を取り入れてアレンジしたものを「ハタ・ヨーガ」の名で世界中に普及させた結果という一面がある。このため、ハタ・ヨーガという名前自体は復権することとなったが、このハタ・ヨーガは、伝統のハタ・ヨーガとは似て非なるものである(場合がある)。
10.クンダリニー・ヨーガ:ハタ・ヨーガの奥義
さらに、ハタ・ヨーガの奥義とされるのが、クンダリニー・ヨーガである。クンダリニー・ヨーガの行法は、ハタ・ヨーガからタントラ・ヨーガの諸流派が派生していくなかで発達した。
ムーラダーラという尾てい骨に位置するチャクラ(霊的なセンター)に眠るというクンダリニーを覚醒させ、身体中のナーディやチャクラを活性化させ、悟りを目指すヨーガである。チベット仏教のトゥンモ(内なる火)などのゾクリム(究(く)竟(きょう)次(し)第(だい))のヨーガとも内容的に非常に近い。
クンダリニー・ヨーガの効果は、他のヨーガに比較しても劇的な面があり、神秘的・超常的な体験・現象や身体的な変調・不調も経験することがある。よって、クンダリニー・ヨーガの実践は、自己流または単独実践は避け、師に就いて実践すべきであるとされている。師とは、単に知識豊富で多少の呼吸法ができる師のことではなく、自身がクンダリニーの上昇経験を持ち、かつそれを制御できる師のことである。
11.ヴェーダーンタ哲学と結びつくヨーガ
ヨーガの流派の増大は、ハタ・ヨーガをもってだいたい終息し、独創的な思想の展開は衰え、様々な流派・思想の折衷・調和が多くなり、流派的個性が薄れていった。
そして、哲学においては、ヴェーダーンタ哲学が、インドの本流となり、ヨーガ行法も、ヴェーダーンタ哲学と結びつくようになり、古典ヨーガの哲学であったサーンキャ哲学からは離れていった。ハタ・ヨーガも、ヴェーダーンタ哲学に基づいたものとなっている。
ヴェーダーンタ哲学は、前に述べた六派哲学の一つであるヴェーダーンタ学派の哲学のことである。この学派は、ヴェーダとウパニシャッドの研究を行う哲学派であり、古代よりインド哲学の主流である。なお、「ヴェーダーンタ」は、「ヴェーダの最終的な教説」を意味し、ウパニシャッドの別名でもある。
開祖は、ヴァーダラーヤナで、『ブラフマ・スートラ』『ウパニシャッド』と『バガヴァッド・ギーター』を三大経典とする。そして、ヴェーダーンタ学派における最も著名な学者は、8世紀インドで活躍したシャンカラである。そして、彼が説いたアドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学(不二一元論)は、最も影響力のある学説となっている。
12.梵我一如・不二一元論という思想
不二一元論とは、ウパニシャッドの「梵(ぼん)我(が)一如(いちにょ)」の思想を徹底した思想である。この「梵我一如」の思想とは、梵(ブラフマン)と我(アートマン)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想である。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。
ブラフマンとは、ヒンドゥー教・インド哲学における宇宙の根本原理である。そして、これが自己の中心であるアートマンと同一であるとされるのが梵我一如の思想である。
ヴェーダーンタ学派では、ブラフマンは、全ての物と全ての活動の背後にあって、究極で不変の真実、宇宙の源、神聖な知性として見なされ、全ての存在に浸透しているとされる。それゆえに、多くのヒンドゥーの神々は、ブラフマンの現われであり、ヴェーダの聖典において、全ての神々は、ブラフマンから発生したと見なされている。
そして、梵我一如を徹底する不二一元論では、世界のすべてはブラフマンであり、ブラフマンのみが実在すると説く。他の存在は、ブラフマンが「仮現」したものであり、実在はせず、そのように見えている(錯覚されている)にすぎないとする。
アートマンとは、ヴェーダの宗教において、意識の最も深い内側にある個の根源を意味し、真我とも訳される。身体の中で、他人と区別しうる不変の実体(魂のようなもの)と考えられる。それは、主体と客体の二元性を超えており、そのため、アートマン自身は、認識の対象にはならないともいわれる。そして、ヴェーダの一部であるウパニシャッドでは、アートマンは不滅で、離脱後、各母体に入り、心臓に宿るとされる。
一方、仏教では、アートマン(我・真我)の存在は認めず、無我を説き、無我を悟ることが、悟りの道とされる。また、仏教では、梵(ブラフマン)が人格をともなって梵天として登場するが、これまで述べたように、本来のインド思想では、宇宙の根本原理であり、その後に特定の神の名前となったのである。