【出羽三山6】月山山頂へ。そして再び湯殿山の虹
月山九合目で少し休憩させていただいた後は、一気に山頂へと向かいました。
九合目を少し登ったところから見た九合目の風景です。
山頂まであと約1時間の道のりです。
ごろごろしている岩肌を、足場を見つけながら、山伏の先達の後について、一歩一歩登っていきます。
先達と上祐
しばらく行くと、月山最大の難所といわれる「行者返し」がありました。急な斜面の岩肌をよじ登っていくところです。その名の由来は、かの役行者(修験道の開祖)でさえ、「修行が足りない」と月山の神仏に諭され、帰されたという伝承のある場所です。
多くの聖地を巡ってきましたが、超人の誉れ高い役行者のこのような伝承は初めてお聞きするものでした。役行者も人の子、修行不足の一面もあったということでしょうか。安直な神格化・絶対視を退けた、人間味の感じられる伝承で、とても印象に残りました。
山伏の方は、「大峰山は役行者、月山は蜂子皇子というように、御山それぞれに合った開山の祖というのがいらして、それは優劣ということではないと思っている」とおっしゃっていて、とても共感を覚えました。
途中、雪渓の残る向こう側の山の風景を眺めました。そこには神としてお祀りされている滝があるのだそうです。
しばらく歩いていくと、霧が濃くなり、気温が急激に下がっていって、別世界の様相になっていき、その中をひたすら歩いていきました。雪渓の場所もいくつか通り過ぎました。
いよいよ山頂が見えてきました。
月山本宮神社の石の鳥居をくぐります。
ついに、出羽三山登拝を達成でき、みな喜びもひとしおでした。一歩一歩足場を見つけ、歩いてきた道のりは少し険しいものでもあり、達成感がありました。
ここからは写真撮影禁止となっていたので写真はありませんが、ここでも、二礼二拍手一拝、祝詞、般若心経、三語拝詞、三山拝詞、震災被害の早期回復のお祈りを、山伏の先達の方の先導で、心を込めて参拝し、勤行させていただきました。
諸々の罪汚れ 祓い禊て清々し
遠つ神笑み給へ 稜威の御霊を幸へ給へ
天つ日嗣の栄えまさむこと 天地のむたとこしえなるべし
綾に綾に奇しく尊と
月の御山の 神の御前を拝みまつる
そして、下山しました。八合目で、お昼ご飯の「山伏弁当」をいただきました。お腹がぺこぺこで、とてもおいしくいただきました。朝が早かったので、まだお昼の時間です。
こうして、無事、月山登拝を終えることができました。地元の山伏の方に先達していただけたことで、とても安心して、巡礼を行うことができました。古くからその地で祈りを捧げて暮らしていらっしゃる方々と一緒にお祈りできたことは、とてもありがたく、忘れることのできない巡礼となりました。
名残惜しかったのですが、時間もあり、宿坊でお借りした杖をお返しし、心よりのお礼を述べ、出羽三山を後にしました。
その後、素晴らしい贈り物がありました。帰り道、再び湯殿山近くを車で走っているとき、正面に、昨日よりも、確かに大きく太い虹が見えてきました。確認すると、不思議なことに、昨日見た場所とほぼ同じ場所でした。
上祐代表はこのときのことを振り返って、以下のように日記に書いています。
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◆上祐代表の日記より
昨日より少し位置が低いが、紫色までよく見えるだけでなく、より太くて力強い感じの虹でした。初日から二日目で何か成長したような感じがします。私個人の体験もあって、これは、二日間の巡礼を通して浄化された参加者の心とシンクロしているような気がしました。
私個人について言えば、二日目の虹を見る前に、月山の巡礼で、貴重な体験をしました。普段慣れない長時間の登山の中で、身体某所に繰り返し痛みを感じたのですが、色々工夫しても痛みは和らがない中で、途中から、この体験は、他の人の苦しみを理解する手助けになると感謝する瞑想を始めると、その痛みが和らいでいきました。
ブッダの教えで、苦しみは慈悲の源であり、慈悲こそが自分の苦しみをも癒すというものがありますが、それをまさに実体験した巡礼登山となりました。
二日とも、虹が現れる際に、東の空は雲がかかって小雨が降り、西の空は晴れて夕方の陽の光が射す中で、陽の光と共に気持ちよい小雨が降っていました。その虹と雨は、仏の智恵(智慧)と慈悲のように思いました。
虹は、無数の色が連続して一体となっているので、多様なものが統合されていることの象徴とされます。それは、万物が相互に依存しあって(一体となって)存在することを説く仏陀の智慧と共通しています。
そして、その虹が伴う陽の光に照らされた暖かい小雨は、仏の慈悲の涙のように感じます。仏教では、この智慧と慈悲は一体とされます。物事をありのままに理解する力が万物への慈悲に繋がるからでしょう。今回の虹は特にそう感じました。
さて、今年の巡礼を振り返ってみると、5月の長野の上田の巡礼、6月の諏訪・戸隠の巡礼、そして、今回の出羽山と、3回連続して巡礼で虹を見るという不思議に恵まれました。5月の私的な巡礼を含めると、4回連続という不思議です。
虹を見ることが多いひかりの輪でも、こんな事はありませんでした。
しかし、その中でも、今回の巡礼はまた格別で、二日連続の虹でした。しかも、太陽の周りの虹の光の輪ではなく、仏の慈悲の涙=慈雨と思わせる小雨を伴う虹でした。それは、東北の苦しみを癒やさんとする仏の智慧と慈雨のように感じられました。
東北の震災で、私達の仙台支部教室も被災しました。仙台の講話会は、2回連続で中止となりました。よって、今回の聖地巡礼は、その東北地方と、東北の会員の方の励ましの意味合いがありました。巡礼の中では、現地の修験道の先達の方と一緒に、訪れた聖山の神社仏閣で、震災被害の早期回復のお祈りを何度も繰り返しました。
虹は、仏教では、瑞相、すなわち、吉兆とされます。今回の虹が、東北を守護する神仏に通じ、今後の東北の回復・発展の吉兆を示すものだとすればこの上なく幸いに思います。
最後に、巡礼に協力して頂いた、現地の皆さん、参加されたスタッフ、そして、東北を中心とした会員・一般の方に、この場を借りまして、深く御礼申し上げます。
※追記 虹の輪とアーチ型の虹
私達の団体の名前=ひかりの輪の由来は、聖地巡礼をする中でよく見た太陽の周りの虹の光の輪(日暈:にちうん)の体験です。しかし、巡礼では、日暈だけでなく、今回のような、普通のアーチ型の虹もよく見ました。
日暈と普通の虹は発生する条件が多少違います。太陽の周りの虹の光の輪は、空気中の氷に反射して現れますから、通常晴天の空に現れます。一方、アーチ型の虹(いわゆる普通の虹)は、たいてい雨が条件です。
そして、自分の感覚なのですが、仏教では、法輪と呼ばれる輪の形をしたものが、仏陀の教えの象徴です。そのため、虹の光の輪は、天空に現れた仏陀の法の象徴と感じています。
それに対して、陽の光が射し、小雨が降る中での虹は、先ほど書いたように、仏陀の慈悲の象徴のように感じます。そう感じるのは、それを見た前後の私の心の状態と関連しているからかもしれません。
なお、出羽山のある庄内地方では、私達の巡礼の数日前に、美しい日暈も出たことが新聞報道されるという偶然もありました。
http://www1.yamagata-np.jp/news/201107/24/kj_2011072402001.php
庄内地方上空に「日暈」 太陽に光の輪ぐるり
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こうして、はじめての出羽三山巡礼を無事終えることができ、出羽三山のみなさまに心より敬意と感謝を申し上げます。そして、東北の復興とご発展を心よりお祈り申し上げます。
「おまけ 出羽の御山のうた」 があります。