5月11日(土)、長野県は「信州の鎌倉」上田にて、聖地巡礼(日帰り)と、小諸の上祐代表講話会のご参加募集
5月11日(土)に、長野県は信州の鎌倉と名高い上田にて、日帰りの聖地巡礼を行う運びとなりましたので、ご参加募集いたします。
先日、小諸での上祐代表の講話会と合わせて日帰りで行いました、4月13日の小諸・浅間山聖地巡礼が、おかげさまでとてもご好評をいただき、またこういった企画を!とのお声をいただきました。ありがとうございます。
今度は、小諸の長野連絡所からほど近く、また浅間山とはまったく違った魅力ある上田をご案内いたします。
上田市には信州でも最古とされる、有名な薬効豊かな別所温泉がこんこんと湧き、またその一帯は、山の中にこんな都が・・・といった風情の、その名も「信州の鎌倉」と呼ばれる一帯があるのです。
美しい、山里の心和む風景。古代からの自然信仰。鎌倉時代から室町時代にかけて造られた神社仏閣などが多数残っているその場所はまさに「信州の鎌倉」と呼ぶのにふさわしいところです。
当日は、朝、東京から車が出て、日中巡礼をし、古来薬効豊かな温泉に浸かり、夕方、小諸の長野連絡所にて上祐代表講話会が開かれます。
上田は2011年に巡礼したことがあるので2回目ですが、今回はそのとき巡礼できなかった新たな場所も巡礼予定ですので、どうぞお楽しみに。
みなさまぜひご一緒しましょう。心身ともどもほぐれていくような、とびきりの素敵な場所をご案内いたします。
●巡礼予定地「信州の鎌倉」
別所温泉、北向観音、中禅寺、生島足島神社、塩野神社等
(※季節や下見の結果、より素敵な場所があった場合、若干変更の可能性があります)
◆別所温泉
聖地の多い信州(神州)でも最古とされる有名な温泉で、ヤマトタケルノミコトが発見されたという、なんと開湯1千年と伝わる温泉です。
別所温泉には、温泉の薬効と、薬師如来の病苦から人々を救うというご利益が結びついた、強い温泉薬師信仰があります。
古くから温泉の効能が信仰と結び付けられた仏教の霊場として栄えてきました。
温泉は硫黄の香りでたいへん泉質がよく、飲泉も可能で、温泉街のあちこちに飲泉所があり、飲むことができます。
◆北向観音
別所温泉の温泉街の中心地に北向観音が鎮座します。
北向観音の開創は825年、比叡山の慈覚大師円仁によるものと伝わります。
「善光寺(6月1日~2日に参拝予定)とセットで参らなければ、片参りで不足である」
とされた名跡で、善光寺と向かい合うように本堂が北を向いていることが、その名の由来とされます。
6月1日~2日には、戸隠・諏訪聖地巡礼の際、善光寺を参拝予定ですので、その前に、セットのお寺として、北向観音をお参りします。
善光寺は阿弥陀如来がお祀りされていて来世の幸福を、北向観音は千手観音がお祀りされ現世の幸福をもたらすといわれています。
また、善光寺は悪縁を切り、北向観音は良縁を結ぶともいわれています。このお寺は、「厄除け観音」としても全国的に有名です。
◆常楽寺--観音菩薩出現の地
常楽寺は、上記の北向観音をお護りする本坊です。
開山は、同じく慈覚大師円仁と伝わります。鎌倉時代には天台教学の道場として栄えた場所で、ご本尊は、妙観察智弥陀如来です。
この本堂の裏には、杉並木を通って奥に、石造多宝塔北向観音のご本尊が出現された霊地があり、独特の静けさ・聖地としての雰囲気を放っています。
◆竜王山中禅寺--水源地信仰のある山の麓
中禅寺は、弘法大師空海によって開かれたと伝わる古刹で、独鈷山(とっこさん)という法具の名を持つ山の麓にあります。
この上田・塩田平付近は、水に関する伝説が多く残されているのですが、寺の背後にそびえる独鈷山は水の湧く水源地の山として、古くから信仰を集めてきた御山です。
弘法大師が独鈷を埋めたという伝承が残されています。
真言宗智山派で。薬師如来像を祀る薬師堂は、長野県はもちろん、中部地方でも一番古いお堂とされています(いずれも重要文化財)。
◆生島足島神社--国土の大神、日本の真ん中
ご神体として「大地」が祭られているとても珍しい神社です。
本殿の内部には床がなく、「大地」そのものがご神体として祭られているのです。
6月1日~2日に巡礼予定の諏訪と同じように、日本国土の中心・へそという伝承がある社です。
ご祭神の生島大神は、生きとし生けるものの万物に、生命力を与える神であり、足島大神(生きとし生けるものの万物を、満ち足らしめる神とされます。
国土に存在するあらゆる生命の発展と繁栄を司る神ということになると思います。
日本が大八洲(おおやしま)と呼ばれていた神話の時代に、この国土に宿ったのが生島神・足島神とされ、よって、日本列島の御魂、「国土の鎮守」としてお祀りされています。
また、この社では、諏訪大社(6月1日~2日に巡礼予定)が祭られていて、諏訪地方にしかないはずの、四方に御柱が立てられています。
そして、諏訪大社と同じように、七年に一度の御柱祭が行われているのですが、そのわけは、諏訪大社の御祭神・建御名方命が諏訪の地に向かわれるすがら、この地に留まり、この社の御祭神(下記参照)二柱に奉仕された由来があるからです。
このように、この社も、長野県では最も古い由来を持つ神社の一つです。
境内には、神池を巡らせ、神域とされる島があり、そこに本殿が鎮座します。
この様式は「池心の宮園池(いけこころのみやえんち)」と称され、日本でも最古の形式の一つとされます。
歴代の朝廷の崇敬篤く、明治天皇が首都を東京と定められたときのように、特に天皇が都を定められる時には必ず二神をその地に鎮祭される例があります。
また、磐座磐境(いわくらいわさか)、ご神木、陰陽のこぶ(木の自然の祠のなかに、男性と女性のようなこぶが自然とできており、信仰を集める)、縄文時代の石棒などの、古代信仰を感じることができます。