5月13日(月) 大阪屈指の古社・一之宮(住吉大社・枚岡神社)等を巡る
ひかりの輪では、5月13日(月)に、大阪屈指の古社(一之宮とされる複数の神社)などを訪れる聖地巡りを行いますので、お知らせいたします。
●枚岡(ひらおか)神社
神話の舞台である大和国と河内国の間を南北にそびえる生駒(いこま)山地は、古代においては「神の山」と考えられてきました。
聖地が数多く存在するこの山地のふもとに、「河内国の一之宮」である枚岡神社が鎮座しています。
枚岡神社は、初代・神武天皇即位の3年前に創建されたと伝えられる古社です。
ご祭神は、天児屋命(あめのこやねのみこと)です。天照大神が天岩戸隠れをされたとき、岩戸の前で祝詞をあげて、天照大神のお出ましを招いたということで、「神事の神」とされています(さらに、その妃神、建御雷神、経津主神の、計四柱の神々がお祭りされています)。
実は、この枚岡神社は、10年前の2013年に共に遷宮を迎えた伊勢神宮と出雲大社を結ぶライン上に位置しています。下記の石切神社をはじめとするこの地方の3つの神社が、伊勢・出雲と幾何学的な位置関係にあるといわれていますが、枚岡神社はそのエリアの一之宮として、伊勢と出雲を結びつける重要な神事を10年前に行いました。
それは「葦舟(あしぶね)神事」というもので、伊勢・出雲・河内の3つの地方の葦を使って一つの葦舟を作り、伊勢と出雲に浮かべて神事を行い、「天津神と国津神の大和合」をお祈りするというものです(新聞報道もされました)。
葦舟は古事記の中にも登場する、日本古来の精神を象徴するものとして、この神事では取り上げられました(日本の古名は「豊葦原(とよあしはら)の瑞穂の国」)。
日の出る地「伊勢」、日の沈む地「出雲」、そして、日=天照大神のお出ましを招いた天児屋命をご祭神とする「枚岡」は、一つのライン上にあり、いずれも太陽にまつわる聖地であること、そして「枚岡神社」が「伊勢」と「出雲」の神々の「大和合」をはかる神事を行ったということからも、今回参拝させていただきたいと思います。
●神津嶽(枚岡神社の本宮)
枚岡神社から、さらに生駒山地を30分ほど登ると、神津嶽(かみつだけ)に到着します。
神津嶽は、枚岡神社の本宮ともいえる場所で、枚岡神社のもともとの発祥地です。飛鳥時代になって、この下の山麓の現在地に奉遷されたと伝えられています。
たいへん神々しい雰囲気に包まれた古代からの聖地です。
生駒山の中腹にあたるこの近辺では、眼下に、大阪平野から大阪湾、六甲の山並み、淡路島、南を向けば葛城山や金剛山など、壮大なパノラマを楽しむことができます。
枚岡神社から峠越えをして奈良方面に抜けるこのルートは、かつて平城京と難波(大阪湾=大陸への窓口)を結ぶ最短ルートであったことから、古代人もここから同じようにして大阪湾を見渡していたのだろうといわれています(下の写真は、生駒山麓から見下ろした大阪平野、大阪湾)。
●石切(いしきり)神社
枚岡神社と同じく生駒山地の麓に鎮座するのが石切神社です。
初代・神武天皇の時代に元宮が創建されたという大阪屈指の古社で、大阪の人々の篤い信仰を集めてきました。
ご祭神は、饒速日命(にぎはやひのみこと)と、その御子・可美真手命(うましまでのみこと)です。
饒速日命は、神武天皇の東征に先立ち、天照大神から十種の神宝(とぐさのかんだから)をさずかり、大和建国の任務を受けて、天磐船(あめのいわふね)に乗り、哮ヶ峰(たけるがみね)(=現在の生駒山)に天降りになったと伝わります。
饒速日命が建国した大和地方を見下ろし、可美真手命が生まれ育ったこの地に、可美真手命が饒速日命を祀ったのが神社の創始と伝えられます。
地元では「石切さん」の名で親しまれ、多くの人がお参りに訪れ、お百度参りが盛んです。腫れ物封じ(ガン)などの神様としても有名です。
●住吉大社
住吉大社は、大阪の代表的な神社であり、「摂津国の一之宮」にあたります。
海の神さま、正しくは、底筒男命(そこつつのおのみこと)・中筒男命(なかつつのおのみこと)・表筒男命(うわつつのおのみこと)という、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらえ)に際して、海の中から現れた神、 および息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后(じんぐうこうごう)をお祀りする古代の社です。
古代においては、この辺りまで海が広がっていました。
5世紀初頭頃から、大和政権の玄関口にあたる難波で、遣唐使をはじめ大陸との間を渡航する人々を守り、外交・貿易・産業を守護する神として、尊崇されてきました。
かつて、遣唐使など大陸に渡航する人々、そして熊野詣、伊勢参宮に向かう人々は、道中の無事をこの社で祈願したとのことです。
●大阪城(石山本願寺推定地)
大阪城といえば大阪を代表する名所ですが、実は、大阪城が築城される以前は、現在仏教宗派の中で最大の信者数を誇る浄土真宗の中心的な寺院が、ここにありました。
それは、石山本願寺という寺院で、ここを中心に、浄土真宗は勢力を拡大していきました。
石山本願寺は、強力な防御力を有する要塞のような寺院だったので、織田信長の軍勢の攻撃にもよく耐えたといわれています。
大阪城内には、石山本願寺が存在していたと推定される場所に、それを示す碑が建てられています(上の写真)。
このような、中世から近世にかけての仏教の歩みについても、学んでいきます。
●難波宮(なにわのみや)跡
大阪城に隣接して、難波宮の跡地があります。難波宮は、古代に2度にわたって都に定められた歴史を有しています(前期および後期)。
前期難波宮は、645年の「大化の改新」における「乙巳の変」(中大兄皇子=後の天智天皇らによる蘇我入鹿の暗殺)直後に、改新政権の本拠地として、飛鳥から遷都されましたた。
その後、都は飛鳥に戻り、近江京、藤原京、平城京などに遷された後、744年、聖武天皇によって再び難波宮が都と定められました(後期難波宮)。さらに都はその後、紫香楽宮を経て、また平城京へと戻っていくことになります。
この後期難波宮にも、それまでの皇都と同じく「大極殿(だいごくでん)」が設けられました。「大極殿」の名は、万物の根源、天空の中心を意味する「太極」に由来しており、ここで国家の重要な儀式が行われました。
難波宮跡には、この大極殿の基壇(建物の基部に築いた石造の壇)が目立つ形で再現されており、その規模や位置を目で確認することができます。そこから、古代王権の宇宙観・宗教観を知ることができます。
以上、大阪のさまざまな聖地を訪れます。みなさまのご参加を楽しみにお待ちしております。
◆日程:2024年5月13日(月)
※訪問先が、天候その他の事情によって、一部は変更になる場合がありますのでご了承ください。
※参加希望者が一定数以上の場合は、上祐(ひかりの輪代表)も参加する予定です。
※参加希望者が一定人数未満の場合は、開催を中止する場合があります。
◆参加費:15000円
※参加料金は、諸事情・状況により多少変更する場合がございます。
※上記の参加費には、拝観料(大阪城天守閣の入館料600円)・食事代は含まれません。これらの料金は、参加者の方から直接、現地の業者及び施設にお支払いいただくことになります。
※心身障碍者・経済上の理由等がおありの方には、別コースや割引料金の用意がありますので、ご相談ください。
◆キャンセル代
1.7日前~3日前までのキャンセルは、参加料金の50パーセント
2.2日前から当日のキャンセルは、参加料金の100パーセント
◆ご注意
1.あらゆる関連法規を順守して行いますのでご協力ください。
ひかりの輪は、聖地巡りの実施形態に関連する法令の解釈について、関係官庁の指導に基づき、適法に聖地巡りを実行いたします。
つきましては、当団体が、参加者の方のために、外部の宿泊施設や運送会社を手配するいわゆる旅行業務を行ったり、車両による有償の運送を行ったりすることはなく、ボランティアの方や参加される皆様のご協力をいただく等しておりますので、何とぞご理解とご協力のほどお願い申し上げます。
2、一般の方も参加できますが、目的にご注意ください。
ひかりの輪の聖地めぐりは、会員ではなく、一般の方も参加できますが、単純に神社仏閣等などを参拝する旅行ではなく、ひかりの輪の思想に関連付けながら、様々な学習をすることが目的ですので、一般の旅行業者と同じような目的でのご利用はお控えください。
3.ご参加をお断りする場合
ひかりの輪のイベントの目的は、その思想と実践の学習、ないしは、学習に関心がある方に実際に体験する機会を提供することなどです。
よって、参加の目的が、例えば、元オウム信者をネット等で話題にして楽しむこと(いわゆる「オウマー」と呼ばれる活動)や、特定会員への妄想的な恋愛感情等によるもの(時としてストーカー行為に発展する恐れがある「追っかけ」などを含む)と判断される場合や、活動の妨害・他の参加者の迷惑になる言動(飲酒状態や攻撃的言動)がある場合には、参加をお断りする場合があります。
なお、過去のオウムに関する清算や、現団体の社会的事柄への取材やご批判は、団体のイベントではなく、広報部の方で承りますので、ご了解ください。
※本聖地巡りの予定は、変更になる可能性がありますので(天候等の諸条件や一定数の参加者が集まらない場合などの中止や時間変更など)、参加ご希望の場合は、必ず事前に下記ご連絡先までご確認をお願い申し上げます。
■お問い合わせ先
●名古屋支部教室・大阪支部教室担当:山口雅彦
携帯電話:090-6852-4929
メールアドレス:osaka@hikarinowa.net