【4月18日 鎌倉レポート3】円覚寺と長谷寺
●円覚寺--鎌倉五山の一つ
次の目的地は、北鎌倉にある円覚寺です。ここは、鎌倉五山第二位であり、臨済宗円覚寺派の総本山である禅寺です。北鎌倉の駅がすぐそばにあり、踏切を渡ると、禅寺らしい落ち着いた雰囲気に包まれて、門がありました。
まぶしい若葉の木々がたくさんあり、季節の花々とともに、このお寺は存在していました。
総門から境内に入り、歩を進めると、もう一つ、どっしりとした大きな門がありました。
弘安5年(1283年)、鎌倉幕府八代執権・北条時宗(時頼の子)は、中国より、禅僧・無学祖元(むがくそげん)を招き、禅に深く帰依しました。そして、2度にわたる元寇(蒙古軍の来襲)の戦死者の菩提を敵味方の区別なく弔うとともに、自身の精神的支柱となった禅を広めたいと願い円覚寺を創建しました。
この無学祖元は、純粋な禅を日本に広めようと努め、日本臨済宗に大きな足跡を残した人物とされています。無学祖元は、中国にいたときから、たびたび神の啓示を受け、日本へ渡航するように勧められていたそうなのですが、来日後、その神が八幡神(鶴岡八幡宮の神)だったことを悟ったといわれています。
このようにして創建された円覚寺は、幕府や朝廷の帰依を受け、大寺に発展していき、現在に至ります。
山門をくぐると、ご本尊の宝冠釈迦如来の祀られる仏殿があり、めいめいで参拝させていただきました。
境内では、オウム真理教事件の中で殺害された坂本弁護士ご一家の墓前にて、お花とお香を供えさせていただきました。
今年に入り、ひかりの輪では、専門家のご指導をいただいいて自己反省法「内観」の実践を行っているのですが、この内観は、両親への恩に深く気づくことのできる内容で、親子問題の解決に大きな効果があります。そして、オウム真理教に出家した子どもと親の問題の解決のために立ち上がり、犠牲になられた坂本弁護士とそのご一家の前に、まがりになりにもようやく立ってお詫びを申し上げさせていただいたのでした。墓前では、そのご報告とお詫び、そして同様の事件を起こさず、起こさせない決意を捧げさせていただき、円覚寺を後にしました。
●長谷寺--親しまれてきた観音霊場
次は、長谷観音の名で親しまれ、板東三十三所観音霊場でもある、鎌倉有数の古刹・長谷寺を巡礼しました。ここは浄土宗のお寺で、創建は奈良時代の天平8年(736年)にまでさかのぼります。
路地から見える総門には「長谷観音」と書かれた朱色の提灯がかかげられ、庶民的な雰囲気を醸し出していました。
境内に入ると、満開の牡丹の花が出迎えてくれました。牡丹の花には大切そうに傘で守られています。そこには放生池、妙智池という二つの池を中心とした回遊式庭園が広がっているのですが、この花々は極楽浄土をイメージして植えられたものだそうです。
たくさんの花が咲き乱れる境内の階段を上っていくと、かわいいお地蔵さまがほほえんでいて、みなの人気を独り占め(三人?)していました。
まずは、ご本尊が祀られる観音堂へと向かいます。「鎌倉大観音」とも言われるほどに、この十一面観世音菩薩は9・18メートルもの大きなもので、わが国最大級の木彫仏だということでした。
観音堂
ちょうどこの日、4月18日は、月に1度の観音縁日にあたり、観音堂はたくさんの人々で埋め尽くされていました。古来、この日に参詣して観音菩薩との縁を結ぶことによって、その功徳が生じるとされているので、多くの方の参詣を集めているのです。
観音さまの前では、観音縁日の行事として、僧侶による読経が行われていました。
寺伝によれば、奈良・長谷寺の開山の発願に基づき、楠の巨大な霊木から造られた二体の観音像のうち、一体が奈良・長谷寺の本尊となり、残る一体は、縁ある地での衆生済度の誓願が込められ、行基菩薩によって海中に奉じられ、その後、天平8年になって、その観音菩薩像が、相模国の沖合に現れたため、鎌倉へ遷座され、鎌倉の長谷寺の基礎となったといわれています。
ここでは、わたしたちも、この観音さまの縁日の日に、お香を捧げ、めいめいで地球の幸福のための祈りを捧げました。
観音堂の先には、すぐ近くにある由比ヶ浜はもとより、三浦半島、相模湾までも望む見晴台があり、鎌倉の海を眺めることができました。
すぐそこにある一切経(大蔵経)が収められている経蔵を一回りして、経典の功徳をいただいた後、少し足を伸ばして、観音山の傾斜にある眺望散策路を登っていきました。
長谷寺は、観音山の裾野から中腹に位置していて、この眺望散策路は観音山の中腹に造られています。しばらく登ると、たいへんすばらしい眺望が待っていました。
山を降りて、朝早くから鎌倉を巡礼してくたくたになったわたしたちの前に現れたのは「大吉だんご」の茶店でしたので、たくさんそれを買って、ありがたくいただきました。
昔、今はなき長谷誓願寺のご本尊だったという阿弥陀如来座像が祀られた阿弥陀堂を参拝しました。
たいへんかわいい、「和み地蔵」はみなの人気を集めていました。
そして、最後の参拝は、弁天窟です。ここは、水が湧くたいへん不思議な洞窟の空間で、一歩中に入ると、異空間のように感じられます。弘法大師空海が参籠した際、八本の手を持つ弁財天を感得して、自らその弁財天を刻んでお祀りしたと伝えられているところです。
この中は、広い洞窟となっていて、洞窟内の壁際には十六童子が祀られていました。ここをぐるりと参拝して、長谷寺の参拝を終えました。
次は、鎌倉からアクアラインを突っ切って、一路、千葉・鋸山へと向かいます。