2019年1月3日、都の聖地巡り・江戸編――聖地東京から学ぶ
2019年の新年を迎えるにあたり、ひかりの輪では1月3日に、初詣をかねて「東京・江戸の都の聖地巡り」を行うことになりました。
戦国の乱世ののち、260年もの長きにわたり太平の世の続いた江戸の都。2015年はその江戸幕府を開いた徳川家康の没後400年の節目の年でした。
そんな江戸の都市づくりのしくみに目を向けてみると、日常ではあまり意識することはないかもしれませんが、実はこの東京も、有名な京都の平安京と同じように、国家規模での霊的守護システムのもと作られた都市であることがわかるのです。
そして東京は、京都・平安京に次ぐ最大の都市として、現代に至るまで栄え続けています。
これらの聖地では、これまでの歴史において、天皇・朝廷の命により、神官や天台宗などの密教宗派や陰陽師などによる、護国鎮護・衆生済度のための祈りが続けられてきました。
今回は、新年を迎え、その江戸・東京のど真ん中の私たち現代人にとって住み慣れた生活の場である都会の場を、「聖地」という新たな視点で見つめ直し、太平の江戸の都から学び、世界の平和を祈る機会としたいと思います。
●鬼門と四神相応
東京は、江戸時代に、江戸城を中心として、江戸の都市を霊的に守護するいくつもの神社仏閣が、「※四神相応」という陰陽道の理念によって建てられた場所です(裏鬼門にあたる)。
※四神相応とは
・東:青龍 豊かな川
・西:白虎
大きな道、交通 の便がよい
・南:朱雀
広大な平野や海、開けた視界
・北:玄武 山や丘陵
『四神相応』の「四神」とは、東西南北の四方を守護するとされる聖獣のことで、青龍(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、
朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)のこ
とです。
四神相応とは、これら四神のやどる地を選んで都をつくれば理想の都市になるというものです。
江戸においては、現在の皇居がある江戸城を都の中心に位置づけ、京都にならって表鬼門と裏鬼門に寺社が配置され、「四神相応」という陰陽道の理念によって、都市づくりがおこなわれました。
このような土地は住みやすく、発展することは理にかなっています。
本来風水は、風と水の循環を含めた、先人が経験的に学び取った環境と共生するための知恵と工夫でもあったそうです。
今回巡る場所は、以下を予定しています。
●赤坂・日枝神社〔ひえじんじゃ〕
赤坂にある日枝神社は、江戸城の南西に位置し、裏鬼門を守る神社として重要視されてきたところです。
「ヒエ」神社という音からもわかるとおり、この社はもともと、「比叡山」とゆかりの深い日吉大社の系列社なのです。ご祭神も、日吉大社と同じ大山咋神(オオヤマクイノカミ)です。
入り口にある日吉大社と同じ特徴ある山王鳥居の山は、比叡山を表しています。周りはすべて赤坂の高層ビルに取り囲まれており、ここだけが、大都会にありながら開発されずに大切にされてきたことが感じられる場所です。
●芝・増上寺
東京タワーのすぐそばに建つ増上寺は、大きな伽藍の背後に東京タワーがそびえ立ち、昔と現代の時がミックスしたような不思議な風景をつくっています。
増上寺は、もとは江戸城の南西・裏鬼門の方角に創建されたお寺で、江戸を守護してきました。(その後江戸城拡張とともに南に移転された)
徳川家は浄土宗の檀家であったことから、増上寺は徳川家の菩提寺に定められ、幕府の手厚い保護を受けて栄えてきました。
家康の遺言どおり、家康の葬儀は増上寺で行われ、増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の六人の将軍の墓所がもうけられています。
●芝東照宮
ここは、日光・上野・久能山と並ぶ、四大東照宮の一つです。当初は広大な増
上寺の敷地内にあった社だったそうです。
ご神体は、家康が自ら命じて彫刻された家康等身大の寿像で、家康は生前、駿府城において自らこの像の祭儀を行っていたそうで、死去に際して「像を増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん。」との遺言があり、この社が創建されました。
(参考)日光東照宮について
家康は増上寺の葬儀の後日光に埋葬され、寛永寺の天海も日光に埋葬されました。
その後、それまで「東照社」であったのが、天皇から「東照宮」の宮号が宣下され、天皇の勅使である例幣使が、毎年東照宮に派遣されることになったのだそうです。
江戸時代、例幣使が派遣されたのは、伊勢神宮と日光東照宮だけだったことから、その重要性を知ることができます。
●浅草・浅草寺
浅草にある浅草寺。浅草寺の年間参詣者数は日本一の3千~4千万人といわれており、正月三が日だけでも百数十万人の参詣者数といわれる場所です。
ここは、さきの日枝神社と対になる形で、江戸城を北東の表鬼門から守護している東京で最も古いお寺です(7世紀)。
このお寺は、徳川家康が江戸に入って以降、そのブレーンの高僧・天海によって、江戸幕府の祈願寺として定められました。 創建の経緯は社伝では以下のように伝えられています。------------------------------------------------------------------------------------------
推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があったそうです。
これが浅草寺のご本尊・聖観音像です。
この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)は出家し、屋敷を寺に改めて供養し、これが浅草寺の始まりといわれています。------------------------------------------------ -------------------------------------------
その観音像は絶対の秘仏となっており、民衆信仰の場として、大変な熱気に溢れています。信仰だけでなく、雷門で有名な仲見世も大変な熱気にあふれています。
境内には、本堂、影向堂、六角堂、淡島堂、六地蔵、薬師堂、龍神さま、などが所狭しと立ち並んでおり、多くの方に親しまれている様子がわかります。
江戸時代、近隣に歓楽・遊興の街が形成されたことなどから、多くの人を集める江戸一番の繁華街となったそうです。
長い年月の間には、地震、雷、火事、戦災などの十数度にも及ぶ被害を受けてきて、そのたびに復興されてきたということで、民衆信仰のパワーを感じます。
●上野・寛永寺
上野の寛永寺は、浅草寺とともに江戸城の東北・表鬼門を守る一大宗教拠点として、また徳川家の菩提寺として、江戸時代には隆盛を極めた寺院です。
今は、上野公園の随所に諸堂宇が点在する形で残っているだけですが、かつては上野公園全体を含む広大な敷地を誇っていました。
この寛永寺は、江戸時代の初期、徳川二代将軍秀忠と天海によって創建が決められた寺院で、平安京を守護している比叡山延暦寺を、そのまま江戸に再現する意図を持って計画されました。
寛永寺の正式名称は「東叡山寛永寺」ですが、これには文字通り"東の比叡山"という意味が込められており、現に比叡山延暦寺と同じ名称・形態の建物が、ここ寛永寺にはいくつもあるのです(根本中堂、釈迦堂など)。
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平安京
江 戸
山号 比叡山
東叡山(東の比叡山)
寺号 延暦寺 寛永寺
(延暦年間創建なので) (寛永年間創建なので)
位置 平安京の東北(鬼門) 江戸城の東北(鬼門)
地勢 山地 台地
本尊 最澄自作の薬師如来 最澄自作の薬師如来
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その他、寛永寺内にある根本中堂、法華堂、常行堂、山王社、釈迦堂、文殊楼は、いずれも比叡山を模して建立されています。
こうして、天海は、比叡山・延暦寺が表鬼門から平安京を守護したように、東叡山・寛永寺が表鬼門から江戸城を守護するように計画したのです。
比叡山と同じように、根本中堂があります。 ここには、秘仏として最澄自作の薬師如来が祀られているそうです。
●不忍池の弁天堂
上野では有名な不忍池の弁天堂。ここは比叡山麓に広がる琵琶湖になぞらえ、琵琶湖に浮かぶ竹生(ちくぶ)島のように、不忍池に中之嶋を築き、竹生島の弁才天を勧請して造られました。
寛永寺建立から数年後のことだったとのことです。
池は夏には生命力を誇るように蓮の花が咲き乱れます。パワーの強い気持ちのよい場所です。
●清水観音堂
ここは京都の清水寺を模して作られており、京都のように清水の舞台もあります。
比叡山の高僧・恵心僧都作の千手観音像が祀られており、ここにも、比叡山を東に移したさまをうかがい知ることができます。
●上野東照宮
上野東照宮は、京都のような雰囲気の落ち着いた社で、少し奥まったところにあり、ここが東京の上野公園の中とは思えないような趣があります。
ここは、徳川家康の遺言により、寛永寺境内に家康を祀る神社として建立されました。
寛永寺が正式に発足したのは、三代将軍家光の時代なのですが、この社の建立は、この東叡山・寛永寺の中でいちばん重視されていたといわれています。
その理由は、その時代は、参勤交代制や鎖国令によって徳川幕藩体制が確立された時期である一方、「東照大権現の呪力」を、幕藩体制維持の精神的支柱として強力に位置づけた時期でもあったからです。日光東照宮と大変似たつくりの社で、家康公の遺訓が飾られています。
〈家康公遺訓〉
「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」
この言葉は、人生は、責務の履行、忍耐の道で、こつこつと努力を継続することが大切であることを示しています。
「不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし」
この言葉は、必要以上のものを求め、際限がない貪りの欲求を戒めています。
都の聖地、そこは、いにしえより、どこよりも人々とかかわりの深い場所であり、人々の幸福を願わずにはいられない、祈りと学びの場なのかもしれません。
●ご参加の詳細
■参加料金 11000円
※参加料金は、学習指導代に加え・参拝代・必要に応じてかけることがある旅行保険代を含みます。
※大阪など、東京とは別の地区からご参加の方は、引率・指導の時間が異なるため、料金が異なりますので、別途下記担当者までお問い合わせをお願いします。
※心身障碍者・経済上の理由等がおありの方には、別コースや割引料金の用意がありますので、ご相談ください。
■キャンセル代
1.7日前~3日前までのキャンセルは、参加料金の50パーセント
2.3日前から当日のキャンセルは、参加料金の100パーセントとなります。
■参加者の無償奉仕による運送のお知らせ
1.出発時に各教室に集合する方は、他の参加者が運転する車両に同乗することができます。
2.これは、参加者の無償の奉仕であり、団体による運送サービスではありません。
3.これを利用されず、マイカーでのご参加も可能ですが、参加料金は減額されません。出発する教室によって料金が異なる場合は、運送料ではなく、引率・指導の経費のためです。
4.現地に集合した後の利用も可能ですが、人数に限りがあり、事前にお申し込みください。
■ご注意
1.あらゆる関連法規を順守して行います(関連法令の解釈は関係官庁の指導に基づきます)。
当団体は、宿泊施設や運送会社を手配する旅行業務や、車両による有償の運送業務は行ないません。運転は個々の参加者の奉仕活動であり、経費も個人の寄付で賄われています。そのため、一部ボランティアの方のご協力をいただきますので、ご了解下さい。
2.参加者の皆さんの安全の確保に最善を尽くします。
奉仕活動の運転の安全確保のため、車両点検・健康管理・法令順守等の確認を行いますので、スタッフにご協力ください。また、事故・怪我・疾患に関しても、スタッフが予防努力を行うと共に、旅行保険に加入しますので、ご協力ください(費用は参加料金に含まれていますが、直前のお申し込みの場合は加入が間に合いませんので、ご了解ください)。
3.一般の方も参加できますが、目的にご注意ください。
ひかりの輪の聖地めぐりは、会員ではなく、一般の方も参加できますが、単純に神社仏閣等などを参拝する旅行ではなく、ひかりの輪の思想に関連付けながら、様々な学習をすることが目的ですので、一般の旅行業者と同じような目的でのご利用はお控えください。
■お問い合わせ先
●東京本部教室(関東・甲信越):細川美香
担当者携帯電話:080-2273-3588
メールアドレス:tokyo@hikarinowa.net