2013年12月23日「大和と河内の"神の山"――生駒山の聖地を歩いて巡る旅」
神話の舞台である大和国と河内国の間を南北にそびえる生駒山地は、古代においては「神の山」と考えられてきました。
現代においても神話や伝承に基づく聖地が数多く存在するこの山地を、今回は西の麓(大阪=河内側)から東の麓(奈良=大和側)に向けて、大部分のルートを徒歩で横断・山越えしつつ、巡礼していきたいと思います。
●石切神社
巡礼のスタート地点は、生駒山地の西麓(大阪側)に位置する石切神社です。
初代・神武天皇の時代に元宮が創建されたという大阪屈指の古社で、大阪の人々の篤い信仰を集めてきました。
ご祭神は、饒速日命(にぎはやひのみこと)と、その御子・可美真手命(うましまでのみこと)です。
饒速日命は、神武天皇の東征に先立ち、天照大神から十種の神宝(とぐさのかんだから)をさずかり、大和建国の任務を受けて、天磐船(あめのいわふね)に乗り、哮ヶ峰(たけるがみね)(=現在の生駒山)に天降りになったと伝わります。
饒速日命が建国した大和地方を見下ろし、可美真手命が生まれ育ったこの地に、可美真手命が饒速日命を祀ったのが神社の創始と伝えられます。
地元では「石切さん」の名で親しまれ、多くの人がお参りに訪れ、お百度参りが盛んです。腫れ物封じ(ガン)などの神様としても有名です。
●枚岡神社
石切神社からさらに生駒山地を上に登っていくと、枚岡神社が鎮座しています。
枚岡神社も、初代・神武天皇即位の3年前に創建されたと伝えられる古社です。
ご祭神は、天児屋命(あめのこやねのみこと)です。天照大神が天岩戸隠れをされたとき、岩戸の前で祝詞をあげて、天照大神のお出ましを招いたということで、「神事の神」とされています(さらに、その妃神、建御雷神、経津主神の、計四柱の神々がお祭りされています)。
実は、この枚岡神社は、今年共に遷宮を迎えた伊勢神宮と出雲大社を結ぶライン上に位置する河内国の一之宮です。先ほどの石切神社をはじめとするこの地方の3つの神社が、伊勢・出雲と幾何学的な位置関係にあるといわれていますが、枚岡神社はそのエリアの一之宮として、伊勢と出雲を結びつける重要な神事を今年行いました。
それは「葦舟(あしぶね)神事」というもので、伊勢・出雲・河内の3つの地方の葦を使って一つの葦舟を作り、伊勢と出雲に浮かべて神事を行い、「天津神と国津神の大和合」をお祈りするというものです(新聞報道もされました)。
葦舟は古事記の中にも登場する、日本古来の精神を象徴するものとして、この神事では取り上げられました(日本の古名は「豊葦原の瑞穂の国」)。
日の出る地「伊勢」、日の沈む地「出雲」、そして、日=天照大神のお出ましを招いた天児屋命をご祭神とする「枚岡」は、一つのライン上にあり、いずれも太陽にまつわる聖地であること、そして「枚岡神社」が「伊勢」と「出雲」の神々の「大和合」をはかる神事を行ったということからも、今回参拝させていただきたいと思います。
●神津嶽(枚岡神社の本宮)
枚岡神社から、さらに生駒山地を30分ほど登ると、神津嶽(かみつだけ)に到着します。
神津嶽は、枚岡神社の本宮ともいえる場所で、枚岡神社のもともとの発祥地です。飛鳥時代になって、この下の山麓の現在地に奉遷されたと伝えられています。
たいへん神々しい雰囲気に包まれた古代からの聖地です。
●なるかわ園地
神津嶽から、さらに生駒山頂に向かって歩いていくと、なるかわ園地というエリアに入ります。
ここは、約160haにも及ぶ広大な園地で、大阪府民の憩いの場所として、特につつじの季節には賑わっています。
その最高地点には「ぼくらの広場」という芝生の広場があります。西を見れば、大阪平野から大阪湾、六甲の山並み、淡路島、南を向けば葛城山や金剛山など、壮大なパノラマを楽しむことができます。
枚岡神社から峠越えをして奈良方面に抜けるこのルートは、かつて平城京と難波(大阪湾=大陸への窓口)を結ぶ最短ルートであったことから、古代人もここから同じようにして大阪湾を見渡していたのだろうといわれています(下の写真は、生駒山麓から見下ろした大阪平野、大阪湾)。
なお、この園地の名前のもとになっている「鳴川(なるかわ)」という地域には、修験道の開祖・役行者の伝説が数多く残されています。自然の中に神々を見てきた古代の求道者は、この鳴川の地で修行を重ねてきたのであり、古くからの聖地として、この地を大切にしてきたのです。
●千光寺
いよいよ峠を越えて、生駒山地の東側(奈良県側)に入り、麓に向かって下っていくと、千光寺(せんこうじ)という寺院があります。
この寺院も、鳴川の地に位置しています。
寺伝によれば、ご神託を受けた役行者がこの地に御堂を建立し、千手観音像を刻んで修行に励んだということです。
役行者の母が行者を心配して、一緒にここで修行をしていたある日、行者が南方に輝く光を見て、母を残して南に向かい、最終的に大峰山系の山上ケ嶽に登って、その地を根本道場と定めたといいます。大峰山は今でも修験道の中心地となっており、このことから、この鳴川の千光寺は後に「元山上」と呼ばれるようになりました。
また、行者の母は鳴川に残って修行を続けたとのことで、この地は「女人山上」ともいわれ、女人の修行道場として栄えたということです。
今回の巡礼の最後に、この千光寺を参拝させていただきます。
●生駒山東麓の温泉
千光寺参拝後は、そこから東に下ったところにある山麓の温泉に入浴し、疲れを癒し、大地のパワーをいただいて、解散となります。
――かつて奈良の都と大阪湾を結ぶ最短ルートとして古代の人が往来し、そして、そこに神仏を見て大切にしてきた生駒山の数々の聖地を、私たちも古代人と同じく徒歩で参詣し、万物への感謝・尊重・愛を培う巡礼にしたいと思います。