【出羽三山4】深い神秘の湯殿山と、その地での虹
いよいよ湯殿山の参拝です。
湯殿山は古来、出羽三山の奥宮とされ、「語るなかれ」「聞くなかれ」とされてきた、天然の御神体をお祀りしている、神秘の聖地です。
ひかりの輪でも、日本に残されている多くの聖地の中でも、一度はお参りしてみたいと思ってきたのが湯殿山でした。
そして、参拝がかない、思いがけずこの湯殿山の地にて、二日連続で鮮明な虹に出合う幸運に三度恵まれることとなり、忘れることのできない場所となりました。
この写真が、想像を絶するその御神体を参拝させていただき、大鳥居まで戻ってきた直後に現れていた、一度目の虹です。
とても美しく、柔らかく優しい感じのする虹でした。
さて、参拝は、大鳥居から出ているシャトルバスで向かいました。
10分ほどバスに揺られ、参道の入り口から歩いていきます。
入り口には、ブナの森からこんこんと湧く手水や、湯殿山が丑年に開山したことから、牛の像が鎮座しています。
そしてここからは、ご神域ということで撮影禁止となっていました。
そのため、写真を載せることはかないませんが、小道を歩いているだけでも、その清らかさがあふれ出ていて、心身が清められていくような道のりでした。
少し歩くと、いきなり想像を絶するご神体が現れました。
すばらしいご神体だという噂は耳にしていたものの、この世に、こんなものがあるのだろうか、と思わず言葉を失うほどのご神体でした。
とても生き生きとして生命力あふれるあまりに清らかなご神体なのです。
参拝の前には、まず素足になり、御祓いを受けなければなりません。
御祓所でお守りと、小さな紙の人形(ひとがた)を受け取り、人形で体を拭い、我が身のけがれを人形に移し、最後にふっと息を吹きかけ、足下を流れる渓流に流します。
そして、御神体の御前にて、二礼二拍手一礼、祝詞、般若心経、三語拝詞、三山拝詞、震災被害の早期回復のお祈りを、山伏の先達の方の先導で勤行させていただきました。
出羽三山の、現地の祈りの言葉は、要所要所で繰り返し唱えているのですが、何度唱えても、この御山にぴったりの祈りのように感じさせられるとともに、わたしたちが、現地の方とともに、祈りのかたちを一緒にさせていただいていることが、改めて、とてもうれしいことでもありました。
諸々の罪汚れ 祓い禊て清々し
遠つ神笑み給へ 稜威の御霊を幸へ給へ
天つ日嗣の栄えまさむこと 天地のむたとこしえなるべし
あやに あやにくすしく尊と
湯殿のみ山の 神の御前を拝みまつる
驚きの気持ちで、裸足でその巨大な湯の湧き出るご神体を参拝させていただいた後は、湧き出るお湯の足湯に浸かりました。
産湯のようなその湯に浸かる皆は、すっかり柔らかくなって、生まれたての赤子のように生き生きと、幸せそうな顔になっていました。
羽黒修験道は、死と再生の修行といわれていますが、このようにして生まれ変わっていくのかということを、垣間見させていただいたような気がしました。
山伏の方に、このご神体とこの地形は、天然の胎蔵界と金剛界の曼荼羅をなしているのだとも教えていただき、山を見ながら、曼荼羅の原点はこのような風景にあるのかと、とても感動しました。
そして、参拝を終え、感動さめやらぬまま大鳥居の前に着き、記念撮影を終えると、優しい小雨が降ってきました。
東の空には暖かい優しい小雨が降っていて、まるで仏の慈悲の涙のような小雨でした。
そして西の空から夕陽が射してきて、虹が姿を現しました。
皆、大喜びで感謝の気持ちでいっぱいになりました。
さらに、車で数分走ると、さきほどの湯殿山の方角に、より鮮明になった虹と、再び出合いました。
見事なアーチ型で、虹の中で見えにくい、紫色まで鮮明な見事な虹でした。
車を止め、皆でまた虹を見たのですが、手が届きそうなほど近くから出ている虹に、皆感動していました。
湯殿山を後にして、宿坊に戻った後は、般若心経の勉強をしました。
普段は般若心経のお経を皆で読むことはないのですが、今回は、山伏の方の先達で、毎回唱えているお経です。
改めて、意味を勉強して、毎回の読経に、より心が込められるようにと確認し合いました。
明日は、早朝3時起きで、月山への登拝となります。
「【出羽三山5】静けし浄土・月山への登拝 」に続く
2011年7月30日 実施