4月10日(木)、26日(土)都の聖地巡り・上野編――聖地東京から学ぶ
4月10日(木)、26日(土)東京・上野の聖地巡りを行いますので、お知らせいたします。
戦国の乱世ののち、260年もの長きにわたり太平の世の続いた江戸の都。
そんな江戸の都市づくりのしくみに目を向けてみると、日常ではあまり意識することはないかもしれませんが、実はこの東京も、有名な京都の平安京と同じように、国家規模での霊的守護システムのもと作られた都市であることがわかるのです。
そして東京は、京都・平安京に次ぐ最大の都市として、現代に至るまで栄え続けています。
これらの聖地では、これまでの歴史において、天皇・朝廷の命により、神官や天台宗などの密教宗派や陰陽師などによる、護国鎮護・衆生済度のための祈りが続けられてきました。
今回は、その江戸・東京のど真ん中の私たち現代人にとって住み慣れた生活の場である都会の場を、「聖地」という新たな視点で見つめ直し、太平の江戸の都から学び、世界の平和を祈る機会としたいと思います。
●鬼門と四神相応
東京は、江戸時代に、江戸城を中心として、江戸の都市を霊的に守護するいくつもの神社仏閣が、「※四神相応」という陰陽道の理念によって建てられた場所です(裏鬼門にあたる)。
※四神相応とは
・東:青龍 豊かな川
・西:白虎 大きな道、交通 の便がよい
・南:朱雀 広大な平野や海、開けた視界
・北:玄武 山や丘陵
『四神相応』の「四神」とは、東西南北の四方を守護するとされる聖獣のことで、青龍(せいりゅう)、白虎(びゃっこ)、 朱雀(すざく)、玄武(げんぶ)のこ とです。
四神相応とは、これら四神のやどる地を選んで都をつくれば理想の都市になるというものです。
江戸においては、現在の皇居がある江戸城を都の中心に位置づけ、京都にならって表鬼門と裏鬼門に寺社が配置され、「四神相応」という陰陽道の理念によって、都市づくりがおこなわれました。
このような土地は住みやすく、発展することは理にかなっています。
本来風水は、風と水の循環を含めた、先人が経験的に学び取った環境と共生するための知恵と工夫でもあったそうです。
今回巡る場所は、以下を予定しています。
●上野・寛永寺
上野の寛永寺は、浅草寺とともに江戸城の東北・表鬼門を守る一大宗教拠点として、また徳川家の菩提寺として、江戸時代には隆盛を極めた寺院です。
今は、上野公園の随所に諸堂宇が点在する形で残っているだけですが、かつては上野公園全体を含む広大な敷地を誇っていました。
この寛永寺は、江戸時代の初期、徳川二代将軍秀忠と天海によって創建が決められた寺院で、平安京を守護している比叡山延暦寺を、そのまま江戸に再現する意図を持って計画されました。
寛永寺の正式名称は「東叡山寛永寺」ですが、これには文字通り"東の比叡山"という意味が込められており、現に比叡山延暦寺と同じ名称・形態の建物が、ここ寛永寺にはいくつもあるのです(根本中堂、釈迦堂など)。
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平安京 江 戸
山号 比叡山 東叡山(東の比叡山)
寺号 延暦寺 寛永寺
(延暦年間創建なので) (寛永年間創建なので)
位置 平安京の東北(鬼門) 江戸城の東北(鬼門)
地勢 山地 台地
本尊 最澄自作の薬師如来 最澄自作の薬師如来
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その他、寛永寺内にある根本中堂、法華堂、常行堂、山王社、釈迦堂、文殊楼は、いずれも比叡山を模して建立されています。 こうして、天海は、比叡山・延暦寺が表鬼門から平安京を守護したように、東叡山・寛永寺が表鬼門から江戸城を守護するように計画したのです。
比叡山と同じように、根本中堂があります。 ここには、秘仏として最澄自作の薬師如来が祀られているそうです。
●不忍池の弁天堂
上野では有名な不忍池の弁天堂。ここは比叡山麓に広がる琵琶湖になぞらえ、琵琶湖に浮かぶ竹生(ちくぶ)島のように、不忍池に中之嶋を築き、竹生島の弁才天を勧請して造られました。
寛永寺建立から数年後のことだったとのことです。
池は、夏には生命力を誇るように蓮の花が咲き乱れます。パワーの強い気持ちのよい場所です。
●清水観音堂
ここは京都の清水寺を模して作られており、京都のように清水の舞台もあります。
比叡山の高僧・恵心僧都作の千手観音像が祀られており、ここにも、比叡山を東に移したさまをうかがい知ることができます。
●上野東照宮
上野東照宮は、京都のような雰囲気の落ち着いた社で、少し奥まったところにあり、ここが東京の上野公園の中とは思えないような趣があります。
ここは、徳川家康の遺言により、寛永寺境内に家康を祀る神社として建立されました。
寛永寺が正式に発足したのは、三代将軍家光の時代なのですが、この社の建立は、この東叡山・寛永寺の中でいちばん重視されていたといわれています。
その理由は、その時代は、参勤交代制や鎖国令によって徳川幕藩体制が確立された時期である一方、「東照大権現の呪力」を、幕藩体制維持の精神的支柱として強力に位置づけた時期でもあったからです。日光東照宮と大変似たつくりの社で、家康公の遺訓が飾られています。
〈家康公遺訓〉
「人の一生は、重荷を負うて遠き道を行くが如し、急ぐべからず」
この言葉は、人生は、責務の履行、忍耐の道で、こつこつと努力を継続することが大切であることを示しています。
「不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したるときを思い出すべし」
この言葉は、必要以上のものを求め、際限がない貪りの欲求を戒めています。
都の聖地、そこは、いにしえより、どこよりも人々とかかわりの深い場所であり、人々の幸福を願わずにはいられない、祈りと学びの場なのかもしれません。
●ご参加の詳細
■日程と時間
・2025年4月10日(木)、4月26日(土)
※参加者のご都合に合わせて10時半~14時半、または12時半~16時半のいずれかのパターンで、合計4時間ほどの行程を予定しております。
※参加希望者が一定人数未満の場合は、開催を中止する場合があります。
※参加希望者が一定数以上の場合は、上祐(ひかりの輪代表)も参加する予定です。
■参加料金
7000円
※当日の天候やその他の事情によって、訪問地の一部を変更したり、参加料金が多少増減する場合がございます。
※参加料金は、学習指導代を含みます。食事代は含みません。
※心身障碍者・経済上の理由等がおありの方には、別コースや割引料金の用意がありますので、ご相談ください。
■キャンセル代
1.7日前~3日前までのキャンセルは、参加料金の50パーセント
2.2日前から当日のキャンセルは、参加料金の100パーセントとなります。
■ご注意
1.あらゆる関連法規を順守して行いますのでご協力ください。
ひかりの輪は、聖地巡りの実施形態に関連する法令の解釈について、関係官庁の指導に基づき、適法に聖地巡りを実行いたします。
つきましては、当団体が、参加者の方のために、外部の宿泊施設や運送会社を手配するいわゆる旅行業務を行ったり、車両による有償の運送を行ったりすることはなく、ボランティアの方や参加される皆様のご協力をいただく等しておりますので、何とぞご理解とご協力のほどお願い申し上げます。
2、一般の方も参加できますが、目的にご注意ください。
ひかりの輪の聖地めぐりは、会員ではなく、一般の方も参加できますが、単純に神社仏閣等などを参拝する旅行ではなく、ひかりの輪の思想に関連付けながら、様々な学習をすることが目的ですので、一般の旅行業者と同じような目的でのご利用はお控えください。
3.ご参加をお断りする場合
ひかりの輪のイベントの目的は、その思想と実践の学習、ないしは、学習に関心がある方に実際に体験する機会を提供することなどです。
よって、参加の目的が、例えば、元オウム信者をネット等で話題にして楽しむこと(いわゆる「オウマー」と呼ばれる活動)や、特定会員への妄想的な恋愛感情等によるもの(時としてストーカー行為に発展する恐れがある「追っかけ」などを含む)と判断される場合や、活動の妨害・他の参加者の迷惑になる言動(飲酒状態や攻撃的言動)がある場合には、参加をお断りする場合があります。
なお、過去のオウムに関する清算や、現団体の社会的事柄への取材やご批判は、団体のイベントではなく、広報部の方で承りますので、ご了解ください。
※本聖地巡りの予定は、変更になる可能性がありますので(天候等の諸条件や一定数の参加者が集まらない場合などの中止や時間変更など)、参加ご希望の場合は、必ず事前に下記ご連絡先までご確認をお願い申し上げます。
■お申込み・お問い合わせ先
◎東京本部教室
担当:細川美香
携帯電話:080-2273-3588
メールアドレス:tokyo@hikarinowa.net